頭と心が騒がしい。
気分の浮き沈みはほとんどない。
思いつくこと、やりたいこと、やった方がいいこと、気になることが多すぎて、ざわざわしている。
若干落ち着かない。
前は体型維持や、気分の浮き沈みを減らすために運動しないといけないと思っていたけれど、ここのところは運動が気持ちよくて、ただただやりたいからやっている。
1時間くらいヨガストレッチと筋トレをしてる。
運動をすると、気持ちが前向きになるし、気持ちが前向きになると、さらに楽しいことを見つけられるから、結果的に一日がとっても楽しく充実することがほとんどだ。
良い循環を作る第一歩として、運動は最適だった。
習慣は楽しさや心地よさを知ることで定着するんだよな〜。
タスクを課すようにして無理やりやっても、苦痛なだけで、やっている意味はもはやないのかもしれない。
自分を虐めるための習慣なんて、私はいらない。
でも、理想の自分を追いかけるために、何かしなければいけない、許されないような気分に度々なるんだよな。
何かしてないと落ち着かないというか。
何かを成し遂げないとここにいる意味がないというか。
このソワソワの正体はなんなんだろう。
置いていかれたくない。
大丈夫だと思える自分でありたいのかもしれない。
つまるところ、今の自分じゃ満足できないんのだろう。
自己否定が入っているからか、なんだかモヤモヤするし、頭の端でなにかしら考えてしまう。
ずーっと何かを考えたり、しきりに話している。
頭がうるさい。
そんな夜だけど、今日は最高に充実した一日を過ごした。
最高だったからこそ、コンフォートゾーンの外にはみ出した今日という日を純粋に受け入れられない自分がどこかにいる。
恒常性が正常に働いているね。
最高を当然のものとして、生きていこうじゃない。
現実は自動再生されているYouTubeの動画みたいなものだと思う。
自分の感情は案外、現実との因果関係がないということに気がついてしまったから。
現実で起きた出来事そのものに深い意味はないんじゃないか。
起きた出来事によって呼び起こされた自分の感情や体感が、現実の臨場感を高め、解釈を生み出し、脚色しているように思う。
そうなったら雁字搦めだ。
あくまでもサラーッと流れている動画のようなもので、別段深い意味がないと思ったら、一つ一つの出来事に強く注意を向けすぎなくなってきた。
終わり