反応してしまうのはなぜ?

好きなYouTubeを観ていたら、突っかかってくるコメントに対して防衛線を張ったり、気にしている様子がいくらかあった。

 

今朝の話。

パートナーが少し不機嫌だったので、私まで苛々していると、パートナーから「なんで君まで苛々してるの?」と真顔で言われた。

「あなたが不機嫌だから」と答えたけれど、「関係ないのにどうして?」と不思議そうに質問されて、私までよく分からなくなった。

 

確かに関係ない。

相手の不機嫌と同化するのは、もったいないことだと思った。

 

そんな矢先に観たYouTubeの一幕。

 

反応しない。

共鳴しない。

状況理解はできても、共振する必要はない。

意識を向けない。

離れる。

 

いちいちぶり返したり、話題にすること自体に価値はないはず。

気分が悪くなるだけだからさ。

 

虫の居所が悪い。

なんかむしゃくしゃする。

モヤモヤする。

 

そんな風に気になってしまう、反応してしまう理由はなんだろうね。

 

負けている気がするから?

自信のなさゆえ?

スッキリしたいからか?

 

気になって反応してしまう自分の心と、ネガティブな現象は対になっているのかも。

 

 

 

備忘録

最近は気持ちが腐りがちだ。

 

二週間ほど東北で過ごす機会があり、自然に囲まれていたからなのか、土地があっていたからなのか、とにかく満たされていた。

自己嫌悪に陥るような思考が働いてしまうことは一切なく、悠々自適に、一日も欠くことなく、幸せな日々を過ごした。

 

朝は7時前に起きて、朝ごはんを食べて。

夜は遅くても23時に眠くなって寝てしまう。

 

やるべきことに瞬間瞬間集中し、全力投球できる自分にとにかく驚いた。

お洒落や身だしなみを整えることにも、いつかのように楽しさやときめきを感じられた。

ウキウキしながら毎朝準備していた。

 

私ってこんな人だったっけ?

頑張ろうと思わなくてもこんなに楽しく頑張れちゃうの?

 

 

最高な二週間ののち、首都圏に帰ってきた私はすっかりブルーになってしまった。

可能な限り床と平行になっている。

 

こんなにも怠惰だったかしら?

こんなにも自分の身体は重かったかしら?

 

 

こっちに戻ってきて、今日でかれこれ一週間が過ぎた。

 

少しずつ復活しつつある。

元の暮らしのペースを取り戻しているような気がする。

 

東北での二週間が、元の暮らしをはるかに上回るものであったから、元に戻ることにさえ抵抗がある。

 

どうしたら意識したり気張ることなく、あの時みたいに心身が満たされるだろう?

 

こんなことを1ミリも思い悩まなかった。

より良い今を望んだりしなかったもの。

不足がないって、ものすごい豊かなことだよね。

 

 

苦しくも立て直しつつある日々の中で、いくらか以前よりもアップデートされたこともあるにはある。

 

帰ってきてしばらくはお腹も空かず、健康や素敵な暮らしに希望も抱けなかったので、サッポロ一番のラーメンばっかり食べていた。

 

化粧や身だしなみを整えることも億劫で、床と友達。

 

 

 

そんな時に大好きなクララブランさんのYouTubeを観て、だんだんと気力が漲ってくるのが分かった。

 

大好きなヘナサロンで読んだVeggy 2023年10月号を読んで、いきいきとした感覚が呼び覚まされた。

 

身体を思いやった食事を作って食べて、内側から発光したい。

内側からクリーンって、最高に気持ちがいいと思った。

お花を飾ったり、素敵なインテリアにしたり、暮らしを整え、楽しむことで、心が元気になると思えた。

 

やらなきゃいけないからやるのではなく、たっぷりの愛を自分のために注ごう。

 

クララさんの動画から滲み出ている、人生を楽しんでいるバイブスに私も共振し始めているのかも。

 

頭で考えて、ジャッジして、良し悪しを決めてるんじゃない。

むしろ、理由なき心の共振が顕著だ。

この、よく分からないけどワクワクする感覚を辿っていきたい。

集めていきたい。

出会っていきたい。

どんどん形にしていきたい。

人生に大好きなことを詰め込みたい。

 

生まれ変わる前のブルーだったのかな?笑

 

 

ビジョンと現実、どっちがリアルか

具体的なビジョンは持とうとして持つのか、ビジョンの方からやってくるのか分からない時がある。

 

電車に揺られて目を閉じていると、二つのビジョンが降りてきた。

一つ目は、木目調のラウンドテーブルが置いてあるオフィスらしき場所。

広い空間、温かい照明。

人々の服装はオフィスカジュアル。

キム秘書はいったい、なぜ?のパクミニョンと似た装いの女の人が見えた。

 

意外だったのは、ビジョンと一緒に自分の体感も湧いてきたこと。

「ここが私の居場所」

「居心地がいい〜」

という体感がものすごくハッキリ感じられた。

 

二つ目のビジョンは、宝くじ売り場の前を歩いている時に見えた。

ルンルンで海沿いの道を運転してる自分の姿。

ティージーンズ、髪の毛は茶髪ボブで、パーマもかけてそう。

 

新居には素敵な家具が揃っていて、パートナーと暮らしそのものを楽しんでいるような姿が見えた。

ベージュの絨毯とお洒落な照明がハッキリ見えた。

余計な心配がなくて、澄み渡っている気分。

あまり今の自分の延長線上にある未来ではなさそう。

 

久々にクリアなビジョンが見えて、現実のリアルさを疑ういいきっかけになった。

そして、目の前の現実や悩ましいシチュエーションに意識を向けている時間がもったいなく感じられた。

確実に存在しているはずの現実も、自分の入り込み具合で急にぼやけたりするから面白い。

 

私たちの意識がガッツリ事象に向いていて、確かなるものだと信じて疑わないからこそ、ガッチリとした現実が目の前にあるように感じられるのかもしれない。

 

心細いながらもビジョンに励まされて、未来が楽しみになってきた。

 

固定概念の外に出ると、景色も変わる。

こうやって具体的にやってみたいことが思い浮かんで、行動して、形になって、現実が出来上がるんだろうね。

はみ出し者の生き方。

気持ちに正直でいる時間が長ければ長いほど、自分の人生を生きている実感があって、楽しい。

 

そんな生き方がようやく板についてきたと同時に、社会とのギャップがかなり広がってしまった。

 

もう私は今後、社会人という自負と責任を持って、企業に属すことができないかもしれない、と面接の帰り道に思った。

とぼとぼ一人雑踏の中を歩きながら、「これからどうしよう...」と思った。

 

自分の心の声がハッキリ聞こえてしまうことが怖くて、億劫で、ずっと無視してきた。

社会では自分を押し殺さないとやっていけないとずっと思ってきたから。

 

だけど、ハッキリしているからこそ、やりたいことが分かりやすいという考え方もある。

やりたきゃやればいいし、やりたくなきゃやらなくていいんじゃない?

 

そもそも、心の声に従った先に破滅が待っていると思い込んでいるのはなんでだろう?

 

心がウキッとときめく職種や会社は今のところ見つかっていないけれど、それは私が長らく本音に従っていなかったからだと思う。

 

ここ最近になって、頭で考えた通りに現実を動かそうとしなくなった。

今この瞬間の本音優先で日々過ごし始めてから、暮らしの中の行動が制限されなくなってきた。

というより、心の本音を追いかけていたら、今この瞬間やりたいことがパッと思い浮かぶ。

気づいたらやっている。

 

「目先の何かを得ようとするための行動」ばっかり頭で選んでいたから、自分の本音は常に後回しで、もはや本心が分からなくなっていた。

 

今は社会と少しでも足並みを揃えようという気概がすっかりなくなってしまい、正式にはみ出し者になってしまった気がする。

未知の世界だ。

これから何をしよう?

Standing Next You

Standing Next YouのMVとステージを久々に何回か観た。

グクは本当に生歌が素晴らしいよね。

エナジェティックで、最高にカッコよくて。

同じ人間で、ここまでスターなのが不思議に思えてくる。

存在感と気迫が違う。

 

「消えちゃいそうな背中」でとうとうと書き綴ったけれど、グクから見たら、私の背中が消えちゃいそうに見えるかもしれない。

私も真剣に一瞬一瞬を生きたい。

 

自分が心から夢中になれることを突き詰めて、どこまでも飛んでいきたい。

 

そのためにも、色んな重しを手放していかないとだね。

自分の本心を偽らずに、どこまでも正直に、心が喜ぶようなことを大小に関わらず、一瞬一瞬やろうっと。

 

今年はきっと飛躍の年になる。

消えちゃいそうな背中

スポーツドリンクをよく飲んでいて、カロリーメイトのフルーツ味が好きだという彼女。

いつもマスクをしていて、帽子を目深に被っている。

メガネもかけているから、表情がほとんど分からない。

素顔をなるべく覆い隠そうとしているように見える。

 

目で見て取れる情報はこれだけ限られているというのに、砂漠のように乾き切った心が見え隠れしていて、なんとなく伝わってくる。

 

食に対する執着がほとんどない彼女と、初めて休憩が被った。

あまりお腹が減ってなさそうだったけれど、私がお弁当を買いに行くと言うと、ついてきた。

 

道中、目の前を歩いてる背中があまりにもか弱くて、急に心配になった。

ある日、突然消えてしまいそうな気がしたから。

風が吹いたら飛んでいってしまいそうだと思った。

 

温度感が伝わってこない。

無機質でひんやりとした、寂しさの中にポツンといるような気がした。

 

できることなら、抱きしめたいと思った。

ハートの底からぽかぽかしてほしい。

大丈夫だよって伝えたい。

 

温もりが必要だと直感的に思った。

誰かの愛情がたっぷりこもっているあたたかいご飯、あたたかいお風呂、あたたかい布団。

ハートの温もりが必要だ。

 

生命力に富んだ、温もりを帯びる日が来てほしいと本気で思ってる。

知り合い程度の私にも出来ることを一つ一つ積み重ねていこう。

新生活ブルー

環境の変化だったり、新しい挑戦が次々に舞い込んでくる2024年。

目まぐるしく変わる現実に心が付いていかないのか、ブルーな気分だ。

 

思いの外「やりたくない」「頑張れない」という気持ちが溢れるようになってしまった。

随分と長い間、本音を堰き止めてしまっていたからかもしれない。

 

参ったな〜と思う反面、やっぱり本音を見て見ぬ振りして生きたくない。

 

例えば、今の職場に行くのが辛いこと。

人間関係も良好だし、問題という問題は思い当たらないけれど、見えない部分で決定的に何かが分岐していて、もう自分の居場所じゃない感覚がある。

理由という理由がないからこそ、余計に思考と本心がぶつかって葛藤状態にある。

 

「現実的に今、自分が職場から抜けるのはまずい。迷惑をかけてしまう。」

「収入源が途絶えるかもしれない。」

「次の職場も決まってるわけじゃないのに、辞められない。」

 

現実的と言えば現実的な理由だけど、「やりたくないことをやらない。やりたいことをやる。」

と決めたからには、この状態と気持ちよくおさらばしたい。

 

収入源は別に用意すればいいしね。

やりたいと思えることで。

 

一旦、想像の中できっちり退社したことにしようかな。

 

「お世話になりました。

本当にありがとうございました。

出会えてよかったです。」

 

不思議とこれだけで今、かなりスッとした。

 

あとは、引っ越し。

無事に色々済んで軌道に乗るかどうか、ずっと心配なんだよね。

具体的には、物理的な物の整理が間に合うのか、ちゃんと大丈夫なのか。

すごいストレスになってる。

 

これもきっちり済んだことにしてみようか。

 

これまで住んでいた街もお家もありがとう。

素敵な生活ができて幸せだったよ。

安心安全に暮らせて、本当にありがたかった。

守ってくれてありがとうね〜。

 

ふぅ。

想像以上に心の中が片付くから面白い。

 

 

謎の新生活ブルーはもしかしたら、未来への不安だけじゃなくて、これまでの環境に対する思い入れや寂しさもあるのかな。

変化してしまうことの切なさ。

 

きっと大丈夫さ。