人を甘やかす癖

人を甘やかすのが癖だ。

気づいたら、何でもやってしまう。

例えば、洗わずに置いてあるお皿を無視できない。

我慢ならなくて、ついつい洗ってしまう。

すると、私が洗うのが習慣化し、いつしか私の仕事になる。

 

職場の先輩が似たようなことを話していた。

よかれと思ってタスク以上のことをすると、いつしかその気遣いまでもがタスクになると。

休みの日に、他の担当者がマニュアル通りの業務をしたところ、「いつもの人はあれもしてくれる」とクライアントが怒ったそうだ。

 

さっき、はじめて人を甘やかすのは罪なのかもしれないと思った。

彼が一瞬苦しそうな顔をした気がしたから。

相手が相手自身を嫌いになるような言動を、私は良しとしてしまう。

 

クールにかわす自分が好きなのか。

言い争いたくない。ぶつかりたくない。

それ以上に、私が手を下す問題ではないと思っている?

相手を正そうとする言動が好きじゃない。

相手は相手の世界に生きていて、必ずしも私の世界のルールがそぐわないから。

押し付けたくない。ねじ伏せたくない。

 

相手が自分の本心に一致した言動を取るか取らないか、それもまた相手の自由であるとどこかで思っているのかもしれない。

それは相手に対する諦めでもあり、信頼でもある。

 

何が優しさか、その答えはその時その時で変わり続けるだろうけれど、自分が少なくとも納得できる言動を取りたいものだ。

やせ我慢してるなら、辞めた方がいい。

 

総じて言えるのは、言動の動機によるということ。

ただ目の前にある皿を洗いたいから、洗う。

その中に人を甘やかす要素は含まれていないはずだ。

疲れているときに洗わせるのは悪い。

私がやらないと。

私がやるべきだ。

やってもらうのはどうにも心地悪い。

借りを作りたくない。

コンフォートゾーン。

 

何にせよ、無意識に犠牲的な行動をしがちなのは確かだ。

嫌われるのが嫌なのか、はたまた見捨てられることを恐れているのか、真意のほどは分からない。

人を甘やかしているというより、自分に強いる癖かもしれない。